貝野沢田遺跡が位置する中里地域は、数多くの縄文時代草創期の遺跡が確認されており、信濃川と清津川の合流点右岸には、国史跡に指定された田沢遺跡と壬遺跡があります。 貝野沢田遺跡では、道路建設事業に伴い、平成22(2010)年度から平成26(2014)年度まで5か年にわたり本発掘調査が行われ、縄文時代草創期の石器製作址や列石状配石が確認されるとともに、約6万6千点の石器が出土するなど、大きな成果を得ています。 選定された285点の資料には、石槍、石槍未製品、スクレイパー、石核、礫器、調整剥片等があります。 整理作業において、石槍と石槍未製品、礫器に多数の調整剥片が接合することが確認され、遺跡は当時の人々が石槍や礫器を製作する場所であったことがわかっています。 接合資料の存在から、当時の人々が生業活動で使用する道具である石槍や礫器を、どのような石を選び、どのような状態で遺跡に持ち込み、どのように作り上げていくのかを復元することが可能で、当該期の石器製作技術を研究する上で重要な資料です。 なお、新潟県内には類例が見られず、周辺地域では長野県佐久市下茂内遺跡や八風山Ⅳ遺跡において、同様の資料群が確認されています。 縄文時代の始まりは人類史の革命と評価される「土器の出現」にあり、日本の草創期土器は世界最古級の土器のひとつとして注目されています。しかし、当時の人々が生業活動で使用する石器も重要な道具であり、縄文文化の遡源を考える上で、その製作技術を解明することができる学術的な価値が極めて高い資料です。
2022年(令和4年)7月27日に十日町市有形文化財(考古資料)に指定されました。