高田藩主松平忠輝が、下条村(現 十日町市下条)のうち200石を家臣の金高勘太郎へ出した知行宛行状(領有許可書のようなもの。)です。
越後国於魚沼郡下条村内、合弐百石令扶助訖、全可領知者也、仍如件
慶長拾六年八月廿八日(黒印)(忠輝)
金高 勘 太 郎とのへ
忠輝は家康の6男でしたが、元和2年(1616年)に改易されました。その支配はわずか6カ年でした。その後、忠輝領は大名領や旗本領に分割されたようですが、それぞれの領主は明らかではありません。下条村は元和6年(1620年)に三条城主稲垣重綱の領に入りました。
この古文書は、平成7年(1995年)8月24日に旧・中里村の文化財に指定されました。