本尊、十三仏をはじめ、天燈の石、十六羅漢、百庚申、由来碑、十三仏供養塔、その他の社塔、石像で構成される仏教関連石造群(197基)です。
ほとんどの石造物の年代は明らかではありませんが、十三仏は明屋和尚が絵をかき、高遠の石工甚六ほか6名が彫り、記年銘碑は良弼和尚の書を茂左衛門という石工が彫ったといいます。また、薬師如来は弘化4年(1847年)、西国、四国、供養塔が明治16年(1883年)、百庚申が大正6年(1917年)に加えられたことが分かっています。
寛延2年(1749年)の秋、和泉国蔭涼寺の6世住職だった明屋有照(みょうおくゆうしょう)は、衆生済度の巡錫の旅を続けていました。その途中、鉢集落のはずれの森で野宿をしていたところ、折しも空より「天燈」が降りたといいます。和尚はこの不思議な現象に驚嘆し、天燈の降りたところにあった奇石を本尊として、この地を永遠の仏法の道場とするために小庵をむすび、石仏山と名付けて開山しました。石仏の工事は、寛延3年(1750年)3月から宝暦12年(1762年)5月までの13年間で、従業者の数は延べ1万人以上とされています。(「石仏開山覚帳」より)
1978年(昭和53年)1月28日に旧・十日町市の文化財に指定されました。