本像は、三面八臂(さんめんはっぴ)の馬頭観音坐像で、高さ36.3cmの小品ながら熊野権現を想起させる凄絶さをたたえています。坐像は檜材、彫りが深く衣褶の処理精妙、肉身金彩、衲衣着色青色中に浮紋を現し、連弁は金線を施し、中央部に宝珠紋を浮かしています。
台座には、「応永十年八月二十四日作之 作者讃岐丸 大江ゑ門入道」の墨書があります。讃岐丸は京の仏師と考えられています。大江ゑ門入道は、寄進者の代表かもしれません。中世、越後守護上杉家の基礎が固まった3代・上杉房方(うえすぎふさかた:1367-1421年)の頃のものと考えられます。
松苧神社本殿は近世末まで女人結界の神域で、婦人は中院(白馬観音堂)までの祈拝が許されていました。本像は1945年(昭和20年)に中院が雪により倒壊する前に、犬伏集落の庵堂に移されて難を逃れたといいます。
1970年(昭和45年)に旧・松代町の文化財「白馬観音像」として指定されました。 1995年(平成7年)に合併後の十日町市の文化財とする際に名称変更しました。