桃山期のもので、高さ18.0cmの小品です。懸仏(※)の最終段階、京洛仏師の作と思われます。 十三仏は仏・菩薩を配し、初七日より三十三回忌の間、13回の法事にかけられて追善供養したものです。
1992年(平成4年)に旧・松代町の文化財に指定されました。
※【懸仏】かけぼとけ(平凡社、世界大百科事典、第2版より) 神の依代(よりしろ)として作られた鏡に御正体(みしようたい)としての神像や本地垂迹説による仏像などをあらわしたもので、その形態から鏡面に毛彫、線刻、描画したものを鏡像とよび、鏡面や鏡地板に別製の薄肉または厚肉の神像や仏像をとりつけたものを懸仏とよんでいる。平安時代の御正体の主流は鏡像で、その在銘最古のものとして永延2年(988)銘の線刻阿弥陀五尊鏡像(重文)がある。平安時代後期ごろより薄肉の仏像をとりつけた懸仏が出現し、初期の代表例としては中尊寺円乗院(岩手県)の金銅釈迦如来懸仏(重文)や、最古在銘遺品として保元1年(1156)の銘がある宮嶋神社(島根県)の比丘形懸仏がある。