鶴吉集落の墓地内にある、川西町の紀年銘付きの最古の自然石板碑を含む計6基の自然石板碑です。 かつては釈迦堂墓地入口に六地蔵として並んで建っていましたが、農業基盤整備のために1974年(昭和49年)に現位置に移されました。
1・2は、阿弥陀一尊種子(しゅじ)に蓮座、造立紀年および造立銘が付いている板碑は数が少ないです。この2基の板碑は、大きさに多少のちがいはあるものの、種子をはじめ蓮座や造立紀年および造立銘までほとんど同一です。種子は変形書体で刻みも深く、種子下の蓮座は蓮弁のほかに中房・蓮実も表現されていて美しいです。その下の中央に、「正平十五年八月中旬」という南朝年号の造立紀年銘と、その左右に「教子ホ(等)敬白」の造立銘を刻んでいます。正平15年は西暦1360年です。
3は、種子が全体に太く刻みも深く、その位置は石面に対してやや斜めに配しています。
4は、種子の刻みは浅いが、魚沼地方でも類例をみない変形あるいは荘厳体です。
5は、三種子ともにやや縦長の書体で、全体に筆の走りがするどく刻みも比較的深いです。種子下には「貞和五年四月十日」の北朝年号の造立紀年銘を刻し、その左右に「施主敬白」の造立銘を刻んでいます。現在の川西町域においては、確実な北朝年号を有する板碑は本基のみです。貞和5年は西暦1349年です。
6は、主尊種子は変形色体で、種子下の中央に「正平九年四月日」の南朝年号の造立紀年銘を刻んでいます。正平9年は西暦1354年です。
1976年(昭和51年)に旧・川西町の文化財に指定されました。
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