かつて神明社北側にあった山田観音堂の板碑です。現在は霜条の神明社境に4基が建っていますが、1919年(大正8年)刊の『中魚沼郡誌』によると、このあたりに普門寺と称する寺院があったけれども室町時代に荒廃し、その後に建立されたのが山田観音堂だといいます。この山田観音堂も大正年間には廃堂となりました。
4基(1~4)のうち1は、種子は全体に太く安定感もあるが刻みは浅くほぼ中央で折れ下部を欠失していますが、種子下に造立紀年銘の一部がわずかに残存しています。造立紀年銘をつけているものはこれだけです。
同2は、種子は角ばった書体で、全体に太く堂々としているのが特徴です。
同3は、三種子ともやや縦長の書体で、その下に刻みはきわめて浅いが、中央に南朝年号の「正平六年八月十八日」の造立紀年銘と、その左右に「施主敬白」の造立銘が刻まれています。正平6年は西暦1351年です。
同4は、種子の刻みはやや浅く、遊座や造立紀年銘などはみられません。
1976年(昭和51年)3月3日に旧・川西町の文化財に指定されました。
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