仁田の北田如意庵境内にある計3基(下記1〜3)の自然石板碑です。1と3は魚沼地方で最大級の板碑です。
1は、三種子ともやや縦長で種子などの刻みも比較的深くかなりはっきりしています。 種子下には「正平十四年八月下旬」(正平14年は西暦1359年)の南朝年号の造立紀年銘、その左右に「道阿 敬白」の造立銘を刻んでいます。「道阿」とは出家した者の法名で、阿号は浄土教とくに時宗の衆徒がよく用いる法名です。この板碑は『十日町組地誌書上帳』(文化二年は西暦1805年)の仁田村の項に、「右は当村真中三有之、(中略)此道阿と申ハ竜雲寺住僧成由申伝候」とあります。また『中魚沼郡誌』(1919年刊)には、「此碑初め地蔵堂前にありしを、明治の初年、熊野社境内に移したるに、(中略)明治四十五年、又今の地に移したり」(明治45年は西暦1912年)とあります。
2は阿弥陀三尊種子の中では最も小さく、主尊種子(キリーク)はやや変形しています。
3は「妻有百四番北田如意庵」の後刻があって標石に利用されています。種子はかなり縦長の書体であり刻みはきわめて浅いです。
1976年(昭和51年)に旧・川西町の文化財に指定されました。
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