この幟旗は綿布で、長さ10.2m、幅0.88mで、縦横共に継ぎ目がありません。外国製の幅広布と推定され、当地に宿営した新政府軍からの下賜品であった可能性があります。
揮毫者は柏崎の私塾「十六堂」の塾頭・原修齋(はらしゅうさい。1814-1877年。)です。
当地方において、一般的に幟旗は昭和から平成にかけて制作されたものが多く、まれに大正や明治のものも現存します。最終年とはいえ、江戸時代の幟旗が現役で利用されていることは、全国的にも希少な例です。慶応4年7月は北越戊辰戦争の最中であり、この時期に揮毫され、祭礼を挙行していることが史実として興味深いものがあります。
素材の入手経路など未解決な課題はありますが、時代の転換期にあらわれた歴史資料として貴重です。
毎年8月26日・27日の祭礼において、上野諏訪社前に立てられます。