犬伏城跡
標高365mの尾根上にある、南北朝時代〜戦国時代の山城です。
築城年代は分かっていませんが、南北朝時代の観応年間(1350〜1352年)に北朝方の原田善太郎がここを根拠地として各地で南朝方と戦ったとあり、この頃までに存在していたことが分かります。
また貞治年間(1362〜1368年)には上杉憲顕(のりかね)の家臣である丸山弾正の居城となり、その後は1578年(天正6年)の御館の乱(※)の頃にたびたび主将がいれかわったとの記録があります。
主郭は東西32m、南北15m、東下にニの郭(二の丸)があり、常備用井戸(かぶと清水)があります。二の郭の東下7.5mに三の郭があり、東の皿に下ったところに幅5m、長さ6m、深さ2mの空堀があります。さらに東に幅13m、長さ30mの郭があり、この東下に2条の空堀がある。深さはいずれも6m以上と深くなっています。大手道となるここを除いて西、北、南は急峻です。
中世を通じて山道交通の要衝といえる場所にあり、歴史上重要です。
1970年(昭和45年)8月7日に旧・松代町の文化財に指定されました。
- 種別 十日町市指定史跡
- 名称(読み) 犬伏城跡(いぬぶしじょうあと)
- 記号・番号 史・第1号
- 所在地 十日町市松代田沢
- 所有者(管理者) 犬伏区
- 指定日 1970年(昭和45年)8月7日
※御館の乱(おたてのらん)
1578年(天正6年)3月13日に上杉謙信が急死したあと、上杉家の家督をめぐって謙信の養子である上杉景勝と上杉景虎との間で起こった後継者争い。景勝が勝利し家督を継いだ。