神宮寺は、寺域全体に杉の木立ちが繁り、参道敷石の両側には美しい苔が敷きつめられていて、荘厳な雰囲気を醸し出しています。
寺伝では、本尊の観世音が平安時代の807年(大同2年)に来迎し、征夷大将軍坂上田村麿を開基として、翌年七堂伽藍が整えられたと伝えています。また、残された記録や伝承から、宗派が変わり盛衰を繰り返したことが窺えます。
広目天像背板裏面銘文から1370年(応安3年)時点で「天福山神宮禅寺」だったことが分かり、越後最古の禅宗寺院だった可能性があります。
更に、境内の南側に堀と思われる沢、北側には中世城館跡の特徴である廓の遺構もみられて往時の様相を偲べます。
境内から離れた東南方向にある神宮寺墓所と日本回国供養塔も、古い時代の寺域に含まれるものとして追加指定されました。
現在の境内には、観音堂・山門、稲荷社、十一面堂、神宮寺伽藍等が点在し落ち着いたたたずまいを見せています。
1972年(昭和47年)に十日町市の文化財に指定されました。