標高362mの尾根上にある、南北朝時代ないし室町時代の山城です。
正平7年(1352年)以降、新田義宗が武蔵野国小手指原の戦いに敗れてこの城を築いたという伝説があります。のちの永正3年から慶長3年まで新田氏(越後里見氏または田中氏系)の上野氏の持城でした。
居館は東麓にある長安寺付近にあったとされるが痕跡をとどめていません。前面にある元町はかつて城下町のように栄えましたが、今は集落が東へ移って田園となっています。
1975年(昭和50年)2月26日に旧・川西町の文化財に指定されました。