この城は六箇麻畑地内にある狭長な尾根筋に築かれ、全長400mを超える市内最大規模の城の跡です。
城跡に登るには塩沢方面に向かう県道の秋葉橋を左折し、山頂に祀られた秋葉三尺坊大権現の参道を上ります。空堀が多用されていることに特徴があります。
尾根上の郭を区画する空堀はいずれも二重堀で、上面幅が広く、戦国時代の城の特徴を示しています。背後の空堀は九条ありますが、防備の発達した戦国時代の城跡としても、このように徹底した施工は珍しい例です。 また、土塁や郭の保存状態も良く、市内に残された貴重な城跡と言えます。
伝承では、南北朝時代に活躍した新田氏一族の武将、羽川刑部の居城だったとされますが、様式からみて戦国時代築城の可能性が高い城です。
六箇を通る県道は昔、関東街道などと呼ばれ、関東への最短距離として特に軍事面で重要でした。上杉謙信が関東へ兵を進めた道であり、後継者景勝の出身地上田(現六日町)と春日山城を結ぶ大切な道でもあります。信濃川渡河地点の琵琶懸城と並んで、街道の押さえに位置する重要な城でした。
1998年(平成10年)3月25日に十日町市の文化財に指定されました。