笹山遺跡ボランティア通信82号
8月最後のボランティア活動日、早いもので第2期もあと一ヶ月のみとなりました。
今日は1名の方に活動していただきました。
縄文畑から発掘された遺物の文様による分類と拓本、石器の注記でした。
それから毎回お楽しみの畑の成長記録をとりました。
あずきは背の高いものでは70cmほどになり、さやもパンパン、
もう収穫じゃないの?と逸る気持ちを抑えるのに必死でした。
そばも50cmほどの背丈になり、蕾が付き始めました(写真)!
観察していると、どうも畑の縁にいる子たちが元気で、茎も太く背も高いようです。
養分や日光をその他のものより享受できるからでしょうか。
きっと縄文人もこの事実を認識していたはず・・・
間引き、はもったいないので、種と種の間隔をあけて広く植えていたのではないかなぁ、と
蚊に咬まれたおでこをぽりぽりしながら想像しました。
作業員た
(2015年08月31日)
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食事は何回?
作業員の近です。
今日笹山の作業室で、食事は1日1食が良いという説があるという話が出ました。(ここでは深くはふれませんが)
そこでふと「笹山遺跡の縄文時代は1日何食が基本だったのでしょうか?」という疑問がわいてきます。
う〜ん。1日に必要なカロリーを計算して・・・など考える手がかりはありそうですがなかなか難しい問題です。
私事で申し訳ありませんが、土器で食べ物を煮炊きして何日間かそれを食べて生活するということを試したときは1日2食でやりました。メニューを考える→材料を用意する→土器で煮るを1日2回以上するのが正直なところしんどかったです。
縄文時代のお母さんには食事を用意するのはちょちょいのちょいなのかもしれませんが。・・・もっと修行します!
←写真はボランティアなどできてくれる方が作った土器で、何度か煮炊きをしてあります。おこげやススがついてなかなか貫禄があります。
作業員 近
(2015年08月28日)
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サイモン〜
調査員の阿部です。
もしサイモンと聞いたらみなさんは何を思い浮かべますか。
音楽が好きな某課長はきっとサイモン・アンド・ガーファンクル
科学読み物が好きな某学芸員はサイモン・シンじゃないかと
勝手に想像するわけですが、今日は火焔型土器が好きな人ならこう答えるというお方が、なんと笹山にいらっしゃいました。
サイモン・ケイナーさんその人です。
サイモン系な、の誤変換ではなく、サイモン・ケイナーさんです。念のため。
突然のお越しに驚いてしまいました。
明瞭な日本語でご挨拶したところ、明瞭な日本語でご挨拶いただきました。
英国の方なので英語で説明すればよかったと、お帰りになってから後悔したのですが、
なにぶん
英語が話せないので、その後悔自体が妄想でした。
画像は、盗撮です。
阿部
(2015年08月27日)
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あずき
調査員の阿部です。
笹山遺跡の炉のなかから小豆(あずき)の遺体が見つかったことを記念して(?)、笹山遺跡ボランティアの皆さんが小豆の縄文畑を開始したことはすでにお伝えした通りです。
でも、じゃあ小豆をどうしていたのか、ということ実はまだよくわからない。野生のものを採集したのか、ある程度管理して育てたのか、まるでわかりません。DNAでも取れればいいのですが、もちろんそんないい状態じゃないです。炭化してます。
それと、見つかった=食べていた、と考えるのは実は早計。
最近こんなニュースがあったことをご存知でしょうか。
http://www.shinmai.co.jp/news/20150821/KT150820SJI090012000.php
長野県下伊那郡にある縄文遺跡で見つかった土器に、小豆の圧痕が大量に見つかったというのです。しかもその圧痕の数、130個!
すご〜〜い! 一つの土器に、130ですよ。うわあ・・・
などと思う前に、ブツブツがいっぱいの土器のビジュアルを想像して鳥肌が立ったのは僕だけでしょうか。さらに腕に出た鳥肌のぶつぶつが130を超えていることに気づいてまた鳥肌がたったのは僕だけでしょうか、というのは軽い冗談ですが、
ともかくそのものすごい数!
加えて小豆の新しい使い方にびっくり仰天です。
小豆を土器に埋め込んで焼くわけです。どうするんでしょう。石ころと違って、種子は熱すると膨張するから、土器の焼成破損リスクを高めるといいます。つまり、入れるほど割れやすいから、できれば入れないほうがいいわけです。
なのに、130粒も入れるとなると、もう異常事態。土器を作っている人を見た周りの縄文人が訝る姿が目に浮かびます。
「あいつ、どうしちゃったんだ。」
「食べ物で遊んじゃいけないってお母さんに教わらなかったのか」
「うわ〜ブツブツ気持ち悪〜い」
という具合だったことでしょう(?)
そんな異常事態は想像できないという真面目な研究者の方々によって、このような種子を練り込んだ土器には何某かの特別な意味がある、と考えられています。
そうかもしれませんし、そうじゃないかもしれません。解決の糸口は、その土器の出土状況でしょうけど、いまのところまだ特殊な傾向は見つかっていないようですから、まだ仮説段階です。
笹山と関連のある小豆のお話だけに、今後、どういう展開を見せるのかとても楽しみです。
阿部
(2015年08月26日)
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ドキドキ・・・!
作業員の近です。
今日、笹山縄文館でこんな土器をみました。
栃倉や塔ヶ崎などといわれているのだそうです。
火焔型土器よりも後の時期の土器とのこと。
大きい突起が対につけてあり、立派!(うっとりしてしまいます)
残念ですが、私が撮った拙い写真と文章では、この土器の良さは伝えられ・・・ん
皆様のお越しをお待ちしています。
作業員 近
(2015年08月25日)
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笹山遺跡ボランティア通信81号
今日もボランティアスタッフさんの活動日。
久々に天気もよく、たくさんお客様が来られるかと思いきや
少なくとも3階にはだんれもいらっしゃらず拍子抜けしました。
午前、午後ともに3名のボランティアスタッフさんに活動していただきました。
縄文畑の成長を記録するとともに、過去に出た土器遺物の部位・文様ごとの分類、拓本をしていただきました。
あずきはなんと、花が咲き、さやができていました(写真)!!
さやは約10cmに成長しています!
いやあ、逞しいですねぇ!
そばは20cmほどに伸びていました。
すくすくと育っているとはいうものの自然いっぱいの中で育てているため、カメムシ、アリ、ハチなどにたかられている様子・・・
縄文人は作物の虫取りをしたんでしょうか。
こんにゃろっと取り去りたい気持ちを静め、これからも見守ることにしました。
がんばれ!
作業員た
(2015年08月24日)
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笹山遺跡ボランティア通信80号
作業員の近です。今日のボランティアは午前3名、午後5名の方に参加してもらいました。
本日も14名のお客様に笹山縄文館へ足を運んでいただきました。ありがとうございました!
ボランティアの方には竪穴住居やモニュメントへお客様を案内してもらいました。
また実験用の畑の場所から出た土器の注記・拓本の作業もしてもらいました。
写真は拓本の作業中の様子です。
華麗な手さばきで画仙紙を切っています。
巷で噂の「土器ドキ最中」を食べることが出来ました。ごちそう様でした!個人的には火焔型土器の細かい模様が入っていてびっくりしました。
実験の畑のアズキとソバの成長については明日お伝えしたいと思います。
作業員 近
(2015年08月23日)
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もこもこ
本日は午後からしとしと雨。まるで秋のようです。
お盆頃からすっかり秋風が吹き、夏が足早に去っていくかのような笹山です。
そんな中、縄文畑は今日も元気です!
写真のように、あずきはすっかり雑草のお世話になりながらひょろひょろと伸びていっています。
そばはというと、雑草には負けまいと地面を覆いつくしながらもこもこ増殖中です。
かわいいやつです。まるで粘菌のよう!
え、雨が降っているから窓から横着して写真撮ったなって?
いえいえ、3階から見る姿がかわいらしくて皆さんにもぜひお見せしようと・・・
ぐむ。
作業員た
(2015年08月21日)
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バンザイ!
作業員の近です。
先日、作業員たさんが土偶の接合するもの(くっつくもの)を見つけました!!(胴体の真ん中から2つに割れているのがおわかりでしょうか。)
みつけてしまうなんてすごいです!尊敬してます!
見つけるコツは土偶の胸の下につけられた沈線だそうです。
写真では分かりづらいのですが、右と左の破片は異なる色と風合いなのです。
同じ土偶で色が違うとなると探しにくいと思うのですが、見つけてしまうなんてなおさらすごいです!
さあ皆さん笹山にきて土偶や土器の観察をしましょう。お待ちしております!
作業員 近
(2015年08月20日)
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縄文笹山ムラには何人いたの?
調査員の阿部です。
最近、見学にみえるお客様がいつもよりだいぶ多いです。どのくらい多いかというと、いつもの3倍から5倍・・・(!)
そうそう、人数といえば、お客様からいろいろな質問をお受けするなかで、僕が困るものナンバーワンといえば、これです。
「笹山ムラには何人くらいいたの?」
難しいんです・・・というか正直言って、わかりません。
それがなぜかは、人間の数を知るにはどんな証拠が相応しいか考えてみると、お分りいただけるのではないかと思います。
一番の証拠は、なんといっても人骨の個体数。
もしもこのムラで死んだ人の骨が全部残っていれば、それぞれ年代測定して、人口の推移を明らかにできることでしょう。まさに夢の直接証拠です。でも、それは見果てぬどころか叶わぬ夢。人骨は一つも発見されていませんので使えません。
2番目に有力な証拠は、お墓の数。
ただし、縄文時代には追葬が行われることがありますので、人口を知るための間接証拠になります。とはいえ、笹山ではお墓が見つかっていませんから、これも使えません。
3番目は、住居の数。
実はひとつの住居に何人暮らしていたのか推測できないので、間接に間接を掛け合わせたような証拠となります。
ところが、1000年以上存在した笹山ムラに、全部で何軒の住居が存在したか、残念ながら分かっていません。遺跡によってはわかる場合もあるのですが、それは色んな理由で残りの状態がいい場合。残りのよくない遺跡で失われたものを数えるのは至難の技です。スクラップ&ビルドの歴史が克明に明らかにされないといけないんです。
そういうわけで、当時の人口どころか、住居の数さえわからない、というのが現状なのです。
ただし、住居の数に関しては、ヒントが幾つかあります。専門的ですが、昔の調査(1〜7次)でわかったことを列挙してみましょう。
1)竪穴住居跡は、7基発見された。時期の内訳は大木8b式併行期で5基、大木9式併行期で2基。
2)炉跡は、105基発見された(竪穴住居跡に伴うものを除く)。大木8a式(火焔型土器に併行する時期)ないし8b式併行期が8基、大木9式ないし10式併行期が25基、それよりもあとのものが7基。ほかは時期不明。大木8a式併行期(火焔型土器併行期)以前の炉には囲いの石がなかったといわれている。
3)炉は、普通、竪穴住居内に設置されるものであるため、炉跡だけ発見された事例はなんらかの理由で住居跡の検出に至らなかったことによると推測される。
4)炉は、縄文人により組み(囲い)石が抜き取られて解体されることがある。
5)竪穴住居跡と炉跡とが発見された区域は、笹山ムラに存在した竪穴住居が建設されたと推測される面積の5分の3程度(これはパッと見です)。
という具合です。
ムラの最盛期が「大木9式ないし10式」併行期にあるっぽいことは推測できます。出土土器の多さからいうと、大木9式併行期が多いんじゃないかと思います。
住居跡の数が2基、炉跡が25基、合計27基。住居跡の耐用年数が30年としても、500年間くらいあるこの時期の住居数としてはあまりにも少ないので、やはり大きなバイアスがかかっているとみなければいけません。
このバイアスをどう見積もるか。今に残る痕跡から考えるのが考古学です。
さあ、みんなで〜考えよ〜(まるなげ)
阿部
(2015年08月19日)
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笹山遺跡ボランティア通信79号
作業員の近です!
1日遅れになってしまいましたが(すみません)、昨日の活動報告をします。
午前・午後とも2名の方に活動に参加していただきました。アズキとソバを育てている実験用の畑で見つけた遺物(土器や石器など)を整理していただきました。
そしてなんと、ボランティアのSさんが実験用の畑に看板を作ってきてくれました!!(パチパチ!)
看板に仕上げ用のニスを塗り、畑に立てました。素敵な看板なので皆さん通りかかった際はみてください。
ソバはご覧のとおり、めでたく芽が出ました(笑)
大きいものでは10p程になりました。
皆さんもアズキとソバの成長も見守ってくださいね。
作業員 近
(2015年08月18日)
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見逃してなるものか!
今日も大入りで大忙しの笹山でした。
そんな中、いつものように土器の整理をしていると…
おや!これは同一個体では!!というものが接合個体を集めた別々の箱から見つかりました。
接合作業もかな〜りやったとはいうものの、見つかるものですね。
報告書をまとめ上げる段になってもこういう事って最後の最後まで起こります。
こうなると作業員魂が疼きます。うーん、徹底的に接合を試したくなる…
今の段階で見つかってまだよかった!
…と書きつつ、やはりこのお手柄も例によって私ではありません、調査員阿部さんですが。
どうですか、同一ですよね?
作業員た
(2015年08月13日)
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ぎっしりと
今日もぞくぞくとお客様がいらっしゃいました。
何組いらっしゃったかもう思い出せないくらいです!
関東方面からのお客様も多く、帰省だけでなく芸術祭のために来られた方がぶらっと立ち寄られました。
普段から歴史や縄文に興味があるといった方とはまた違った方にお話しすると、
縄文時代のイメージが変わった、と目を輝かせて言っていただけることも多く、
おぉ、またひとり興味を持ってくれる人が増えた!と嬉しい気持ちになります。
・・・とさも自分がガイドしているかのように書きましたが、ほぼ作業員近さんにお願いしています。
ありがとうございます、近さん!!
さて、タイトルにあるように、復元して立体に戻った土器を棚に収蔵&展示しはじめました。
3年強の月日をかけて接合したあの土器が、こうなるか!
平面と立体とでは全然イメージが違います、圧倒されます。
久しぶりに復帰したせいもあり、感慨深くしげしげと眺めてはうっとりしています。成長した我が子を見る親の目ですまさに(たぶん)。
まだまだ棚数は増える予定です!
楽しみです!
作業員た
(2015年08月12日)
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笹山遺跡ボランティア通信78号
作業員の近です!
昨日は笹山遺跡ボランティアの活動に午前は2名、午後は1名の方に参加していただきました。
午前中はソバの種蒔き、ソバの畑に立てる札作り、午後は整理作業を手伝っていただきました。
午前中は暑い日差しの中でも、時折涼しい風が吹いてきたりで気持ちがよかったです。
種をまく畑の草取りをして、耕した後にソバの種を蒔きました。
夕方には短い時間でしたが、一時雨が降り・・・
ソバの種には水が届いたでしょうか??
とりあえず無事に芽が出てくれることを祈ります!!
作業員 近
(2015年08月11日)
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再び戻ってきました
みなさんこんにちは、おひさしぶりです!
作業員Aです。
17か月ぶりに、また笹山チームで仕事をさせていただくことになりました。
今日はとにかく現状把握に奔走しました、ひたすら画面上で。
つたない文章ながらまた皆さんに笹山の楽しい一日をお届けしていきたいと思います!
どうぞよろしくお願いします!
作業員Aあらため
T.A.→た→
作業員た
(2015年08月10日)
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夏休み親子自由研究サポート2日目(笹山遺跡ボランティア通信77号)
調査員の阿部です。
今日は夏休み自由研究サポート2日目。
5名の笹山遺跡ボランティアと小沢吉彦先生のご支援のもと、
14名の親子に取り組んでいただきました。
今日は、2週間前に形作ってもらった土器を焼く日です。
朝にそれぞれの研究テーマを確認。
早速ひろばの土器焼き場に移動して、みんなで土器焼きをしました。土器を炙るのに45度ずつ回転させたり、薪を投入したり。
お昼には火焔型土器なべの振る舞い。抜群の味わい。
焼けた土器がどうなったかというと・・・
なんと全員成功!割れた人はいませんでした。ホッとしました。一番ほっとしたのは先生だったかもしれません。ありがとうございました。
午後の自由研究ガイダンスでは、殆どの子どもが研究テーマを解決できていたように見受けられました。これもまたよかった。みなさん優秀でした。
「来年もやるの?」
というお声をいただきました。これは嬉しかったです。
出来る限り、ご期待に応えたいと思っています。
阿部
(2015年08月09日)
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紙の土器
調査員の阿部です。
自由研究サポートの会場準備をしていると、
そこへ姉弟をお連れのお母様がご来館。
「紙で縄文土器をつくろうかと、この子が・・・。」
弟さんの自由研究(工作)みたいです。
それならペーパークラフトが・・・と紹介しましたが、
どうもそういうことじゃないみたいでした。
じゃあ、と本物の縄文土器をお見せすると、
普通の縄文施文の土器には目もくれず、「火炎の一味」に興味津々。
「うわ〜〜〜、これがいい!」
だそうです。お母さんに土器の写真をいっぱい撮ってもらって、やる気満々の様子。
頑張って良いものが作れるといいですね♪
阿部
(2015年08月07日)
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おぶしでぃあん・おーびー・おぶ
調査員の阿部です。
笹山遺跡の発掘では、少ないながらも黒曜石製の石器が出土しています。
大量にあるものよりも少ないものにこそ重要な情報が隠れているもので、結構大事です。
今回改めて黒曜石の石器だけを抽出する作業をしました。結果、本当に少なかったです。
抽出して、パッと見で、ある特徴がわかりました。なるほど。彼の地との交通、ですね。
これからもっと詳しくみていくと、地域と地域の間で起こっていることがなにか、面白いことがわかるかもしれません。
ちなみに黒曜石はobsidian、オブシディアンといいます。
普通に黒曜石と呼べばいいのですが、一覧表で管理する時などはよくOBなどと略されることがあります。
そのせいで、業界的に黒曜石を「おーびー」とか呼ぶことがあり、それも面倒だということからか、さらに短く「おぶ」なんて呼ぶことがあります。
「石材は?」
「おぶ」
そんな会話を頻繁にしていたことがありました。
でも新潟に来てからはそんなことは無くなりました。だってめちゃくちゃに少ないんですもの。
阿部
(2015年08月06日)
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ユニック
調査員の阿部です。
発掘ではおなじみのユニック。
トラックの背中にクレーンが付いているという、
「鬼に金棒」な車両です。頼もしいことこの上なし。
よもや発掘以外でもお世話になるとは思いも寄らず・・・
といいつつ、なんともう4度目。感謝。
廃材。
何に使うかは、後日のお楽しみです。
阿部
(2015年08月05日)
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アルチザン
調査員の阿部です。
テーブルにスペースがあったので、復元された土器数点を並べてみました。大地の芸術祭の関係もあってお客様が増えているからです。大小があったり、時期の違いがみえて面白いですね。慣れた私たちでもその威容に思わず見入ってしまうときもあります。
お客様にこれらの土器をお見せすると、感激してもらえたり感心してもらえたり、説明者冥利に尽きることこの上ない思いがします。
ところで、お客様から頂戴する質問によって、気づかされることがいくつかあります。
その一番はといえば、火焔型土器のように奇抜で大胆なデザインの背後に突出した技能の工芸家や発想の豊かな芸術家がいたと思われがちということです。
画像にある土器たちは一見するとそれぞれ個性的にみえますが、実は500年間以上の年代差があるものがあり、複数の伝統が互いに影響しあいながら少しづつ変化して出来上がってきたものです。
奇抜にみえる土器は、ほとんどの場合、ある日突然生まれたのでありません。時間を遡れば、それとはほんのちょっと違うだけの土器が存在し、その前にもまたほんのちょっと違うだけの土器があり、そしてその前にも・・・・。という具合に、ほんのちょっとずつの変化の先端にあるのです。
また、火焔型土器をとってみても、その存在した期間は約500年間もありました。最初は火焔型土器とは思われないような形から出発して、そしてだんだんとお馴染みの形になっていったと考えられています。
火焔型土器のような派手なものが何故生まれたのかは大変興味深い話ですが、これは火焔型土器全体のことであって、ほかの地域にある別のスタイルと比較する中で理解できるものです。芸術家がいたとすれば、火焔型土器が分布する信濃川流域全体の社会に広くいる、
・・・でしょうか?
そんなにたくさんいる人を芸術家と呼ぶには少し抵抗があります。本当の意味での芸術家なら、似たようなものは作らないからです。
あえて芸術家的な人がいるとすれば、それは同じ火焔型土器の中でも秀逸なものを作れる人がふさわしいようい思います。砂の包含率が少なく、表面調整が入念かつ滑らかで、メリハリの効いたプロポーションで、バランス良く、文様展開に的確な計画性を感じさせ、そして焼けにムラがない一品を作れる人です。
でも、このような技術はある日突然発明されたわけではなく、既存のスタイルの継承と、技術の精密な統合によって成し遂げられるわけですから、芸術家(アルティスト)とはちょっと違うかもしれませんね。僕のイメージとしてはアルティストというよりも凄技のアルチザン(熟練工)です。
火焔型土器No.1のような一品を作れる人はアルチザン。
アルゼンチンじゃないですよ。あと、パルメザンも違います。
アルチザンです。
あれ、いま、なぜフランス語にする必要があるのかって思いましたか。
いやいや、思ったでしょう。わかってますよ。
では、お答えしましょう。
ズバリ・・・
その方がちょっとカッコイイからでしょう!(丸尾君*的に読む)
阿部
*丸尾君とは↓
http://www.geocities.jp/chibi_maruko_chan_room/character/maruo_hanawa.htm
(2015年08月04日)
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8
調査員の阿部です。
8月が始まりましたね。
暑い季節になると蛇が里に下りてくる、なんていいますけど、
最近の笹山はハチをよく見かけます。
縄文館の室外機の下にもひとつ、蜂の巣ができていました。
見れば子育ての真っ最中。
いじらなければ滅多に刺さないとは思いますが、
万が一ということもあります。
ごめんねと思いつつブシューッと駆除しました。南無。
ところで、ハチといえば、忠犬ハチ公。
実話をもとにした感動的な物語・・・誰もが知っています。
最近、東京大学農学部にハチ公と先生(東大農学部の先生だった)の像が建てられたらしいですし、
http://www.en.a.u-tokyo.ac.jp/hachi_ueno_hp/hp/
映画のおかげで、西洋では秋田犬や柴犬が密かなブームになりつつあるそうですね。あのクルんと巻いた尻尾がキュートなんだそうです。
ハチ公といえば、世界が動く。すごいことです。
ってことは、笹山のハチと僕の物語も、ともすれば感動物語になったりして、映画になって、笹山は世界的に有名になる、ということでしょうか。あのチクっと刺すお尻がキュート、そんな風に思われて・・・・
って、しまった!
もう駆除しちゃった。
リチャード・阿部
(2015年08月03日)
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