柱穴跡の上にある石
柱穴跡の掘削をしていたら、ちょっと大きい石が入っていました。
深い柱穴のなかの、最上部です。
付近の自然堆積物にもたくさんの石が入っていますが、これよりもかなり大きいのが特徴です。大きな石が一人で来ることはありません。人が持ってきたんだろうと思います。
ということは、柱穴跡だと思っている穴が、実は別の種類の遺構かもしれないと思って、すぐには取り出さずに慎重に掘ってみたのですが、下にも特に何もなかったので、「う〜〜ん」と思いつつ潔くポイしました。自分の潔さに酔いしれました。
すると、今度は別の柱穴跡からも、同じように大きな石がでてくるではありませんか(画像)。
おろろ・・・これ、もしかしてだけど、柱穴跡の上になにかを意図してわざと入れられたものなんじゃないか〜?(どぶろっく調)。
そんな疑いがモヤモヤと。先ほどの自己陶酔は一気にさめました。
そんな折、今朝たまたま開いた福井県の報告書に、こんな報告がありました。
中世の建物跡で、柱穴跡を埋めたところに土師器の皿を伏せて被せてある事例があると。これは建物を廃絶したあと(=柱の引き抜きをしたあと)の「地鎮祭」と関係がある、祭祀遺構ではないかというのです。
え、マジ?
笹山のは土師器ではなく石だけど・・・・ポイしちまったぜ1個。
そんなわけで、この石は遺構の一部とかもしれないものとして記録しておくことにしました。
細かいことですが、毎日色々あるものです。
調査員
(2019年07月31日)
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柱穴跡がいっぱい
梅雨が明け、晴れの連続です。
来週は35℃になるそうで、いまから戦々恐々としています。
そんななか、いま柱穴跡を絶賛発掘中です。
発見したもののうち、もう半分以上を掘り終わりまして、この分だと終わりは近そうな情勢です。
で、目下の僕の関心は、旧図面との整合性。
狭い調査区の中だけで柱穴跡の配列を考えるのは無理があるので、旧調査区、つまりは今の笹山縄文館の下を発掘した時の図面とどうつながっているのかを気にして、毎日図面と睨めっこ。
一番目立つ柱穴跡の直線状の配列はきっと7号建物跡の続きだろうと思うのですけど、ほかにも柱穴跡があって、これらは多分別の建物ではないかと思われ、、、、。
しかも、7号建物跡の内部に柱穴跡があるので、建物同士に前後関係があることになります。さらにいうと、調査区が狭いので、この7号建物跡ではない建物跡が1基なのか2基なのかさっぱりわからない、という・・・。
昔の職場で、こういう柱穴跡の配列を、どれとどれが同じ建物のものかをどうやって区別するのか、同僚に聞いたことがありました。
するとこんな素晴らしい答えが返ってきたものです。
「そ〜んなの、テキトーだよ!」
そんなわけないでしょ。
調査員
(2019年07月30日)
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溝ありました
新潟県は梅雨が明けたようで、周りにいる何人かが嬉しそうに報告してくれました。
でも、今日の現場はなんと35度にもなるとかで、梅雨明けが果たして良いことなのかどうか考えてしまいました。
それはそうと昨日まで探していた例の溝跡(みぞあと)、やっと見つかりました!いやあ、よかったよかった。いままで、何か図面に大きな誤りがあるとか、自分の判断ミスとか、不安な気分でしたが、これで一安心です。
溝は、思ったより東にありました。雨落ちの溝なんだから直線的なはずなのに、曲がっているんでしょうか?あとてちゃんと測量して見極めたいところです。
昨日は十日町中学校の職場体験の生徒さんが2人、発掘作業を手伝ってくれました。初めてなのにいきなり遺構堀りです。普通なら土運びとか、間違えて掘っても差し障りがないところとか、そういうところを掘ってもらいますが、今回は遺構以外に掘るどころがないので仕方なし。
遺物は出ないし想像してたのと違って少々面食らったかもしれませんが、仕事の大変さやこの仕事の意味、その辺が伝わったらいいなと思いました。
こんな仕事に就きたいです。
ひとりが最後にそんな言葉を残していきました。本当に?だとしたら嬉しいことです。
調査員
(2019年07月26日)
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人間の本質は観念
お昼過ぎに「音楽家」だというお客様が縄文館に。
東京からお仕事で来たとのことで、つまりは市内のどこかで演奏される(た)のだろうと思います。
整理室の土器をお見せして説明させていただきましたら、すごく興味を持っていただいたみたいで、お話ししているこっちも楽しくなりました。
土器は、もちろん道具だから使えるようになっているけれど、現代の僕らよりはずっと観念的。使い勝手はかなり犠牲になっています。
人間の本質は観念ですよね。と申し上げたら、「私もそう思います」と。
さすが音楽家さん。話が早くてよかったです。
その後、ほどなくして子ども3人連れの親子がご来館。
小学生と思われる一番上のお兄ちゃんがボソッと「一番古い時代は氷河時代」と。
おおー。
負けじと一番下の幼稚園生かもしれない弟が言いました、「俺も知っているよ、猿が人間になるんだ。」
おおおー。
よく知っているなあ・・・。おにいさんはちょっと感動しました。
調査員
(2019年07月22日)
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まだわからず
昨日の課題だった溝の跡。
今日探索の手を入れたら、それらしき部分が見えて来たものの、部分的でよくわかりませんでした。
たぶんもう少し先、方角でいうなら東の方なのかもしれないと思うものの、それだと調査区を囲うフェンスの向こうに及ぶかもしれず、掘ろうかどうか迷うところです。所詮は雨落溝だしな〜って、、、。
途中雨が止まないので、泥まみれになる前に早めに終了しました。
来週、測量して図面と照らし合わせてから考えてみようと思います。
阿部
(2019年07月19日)
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溝はどこだ
今日の午後、中世面の遺構の表面があらかた出ました。
笹山縄文館の下を発掘調査したときの報告書の図面と照らし合わせてみると、柱穴とみられる遺構の列が、縄文館の柱穴の列の延長線上にあるっぽいことがわかりました。これは7号建物跡っていいます。よかったよかった。
あれ?建物跡の横にある、溝跡の延長はどこ?
そう、縄文館の柱穴列に並行して存在する溝、たぶん雨落溝の痕跡の延長が、今の調査区の中に見えないのです。おかしいなあ、、、あっても良さげなのに。。
まさか掘り飛ばした?あはは、、、
と笑えない冗談を飛ばしつつ、少しだけ調査区を広げて探すことにしました。掘り飛ばしてないなら、調査区の外のわりと近いところにあるはずだからです。
さて、、、ちゃんと見つかるでしょうか。
次の日記を待て!
ちなみに今日の画像は、何かの殻。生き物の卵か何かの。初めてみたのに2つも見かけました。なんだろ?こっちも調査が必要みたいですが、検索したら一発で出て来ました。
クスサンという蛾のサナギの繭で、通称スカシダワラというそうです。ウィキペディア先生万歳。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/クスサン
調査員
(2019年07月18日)
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杭を打ち込みました
昨夜は豪雨でした。
今朝、現場がプールになってないか心配でしたが、来てみたら案外普通で、少し拍子抜けしました。
午後は測量屋さんが来てくれ、調査区を区分けするための目印になる杭を打ってくれました。あらかじめ決まった場所に5メートル間隔で打つのですが、なんせ狭い調査区なので、結局正規の杭は一本だけになり、あとは補助の杭でカバーすることに。
なんだかちょっと寂しい気持ちになりました。自分のことながら、まさか杭の数でテンションが左右されるものとは知りませんでした。
本日一番の発見です。
調査員
(2019年07月17日)
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新利器登場
三連休、結構雨が降りました。
調査区にたまった水は、さあどんすんべ、となります。
この狭い調査区に汲み上げポンプはないし、バケツリレーではきょうの作業員数では大変。
そうだ!雪を滑らす樋を使えばどうだろうか?
そんな提案があったので早速試してみたら、、
これいいね!
素早く捗ったようでした。よかったよかった。
今日の午前中は、博学連携プロジェクトの一環で、中条小学校さんが土器を焼きに笹山に来ました。皆さん無事に焼けました。火起こしもまあまあでしたし、こちらもめでたし、めでたし。
調査員
(2019年07月16日)
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お宝ってなんのこと
発掘をしているとよくこう訊かれます。
「お宝は出たかい」
こういうときは
「まだ出ないけど、もうすこしで徳川埋蔵金が出る予定です」
などと真顔で答えて会話を楽しむことにしています。
「お宝」ってなんのことだろう、と考えることがあります。実はいろんな見方があります。
例えば上の会話のような「お宝」は、ほとんどが優品主義の博物館目線、あるいは骨董趣味やいちじゅうひゃくせんまんえんの目線であって、考古学的目線からは部分的であり、文化財的には片手落ちになるような気がします。
考古学は、過去の出来事を明らかにすることを目的としていますから、「お宝」はアリバイ能力の優劣で決まります。だからたとえ金銀財宝が出てきても過去の事実との関連が全く分からなければ役にも立たないものとみなされるだろうと思います、たぶん(まったくわからないということはありませんが)。
文化財の価値は考古学をはじめとした歴史学的価値のほかに骨董的要素や審美的要素、それに現在の社会文化に照らしたときの重要性などが考慮されるので非常に複雑です。「なぜ国宝なんですか」と訊かれることがありますが、客観的に明確にお答えすることはちょっと難しい、とよく思います。
ただ、行政の発掘調査は文化財の(土木工事などによる)破壊を少しでも免れるようにするための救済であったり、考古学的に過去を明らかにするための行為であって、博物館や審美的な観点で「お宝」をみつけるということは目的に入っていません。文化財保護法のどこを読んでもそんなことは書いてありません。
発掘調査によって「お宝」を見つけたい、それはみんな同じですが、それぞれの感じている脈絡が違うということです。このあたりの掛け違いがあると大変なので、関係者は前もって相互に理解しておくようにしたいものです。
「お宝が・・・」などと言う人がいるとき、いったいどの脈絡でおっしゃるのか、目の奥をじーっと見て、確かめる必要があります。「徳川埋蔵金」は鉄板ネタとして、こん後もしばらくは使っていこうと思っています。
昭和生まれの調査員
(2019年07月13日)
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今度こそ中世
発掘2日目。
笹山遺跡では、表土の下にある黄色っぽい地層は中世の遺構が見える地層。
昨日、端っこに開けたトレンチの中で、その地層の上面を見つけました。地表から約40センチくらいの深さのところです。
しかも、狭いトレンチの中で「柱穴」らしき穴を3つ、見つけました。やっぱりなー、という感じです。「柱穴」(ちゅうけつ・はしらあな)というのは、柱の下端部を埋めていた穴のことで、礎石の上に柱をおくようになる前はみんなこんな風だったのです。掘立柱(ほったてばしら)といいます。
以前の調査報告を見ると、この辺りに柱穴があることは予測していたのですが、報告にある遺構の数が少なくて状態がよくわかっていませんでした。普通は、こういう柱穴またはそれらしきものがたくさん見つかるものなのに、少なすぎたのです。
でも今回の柱穴は狭いトレンチの中で3つですから、きっとこれからたくさん見つかることでしょう。
ただ、沢山あるという事は、色々なことが分かるようになる可能性を秘めていることを意味していますが、それだけ仕事量も多くなるという事です。ちゃんと決められた時間と人手で終えなければいけません。
楽しみのような、思いやられるような、ちょっと複雑な気分です。
調査員
(2019年07月12日)
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発掘はじめました
昨日、笹山遺跡の発掘を始めました。
笹山縄文館の南のせまーい範囲です。
最初の日は、表面の草を刈り、根が捕まえている表面の土を取り除くことから始めます。
この日は職場体験学習のために博物館に来ていた中学生も参加してくれました。結構力のいる大変な作業なのですが、一生懸命やってくれまして、感心しました。あとで聞いたらマメができたそうです。いい経験になったのではないでしょうか。お疲れ様でした。
まだ表土の段階ですが、鉄釉の陶器の破片がでました。破片が小さくて時期などわかりませんが、15世紀以降のものでしょう。遺物が少ないという以前の調査報告が念頭にあったので、とりあえず何かしら出ることがわかってよかった。
調査員
(2019年07月11日)
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駐車場あります。なお、間もなく、発掘開始です。
昨年発掘した場所。
陸上競技場へ向かう交差点の角ですが、砂利の駐車場になりました。
実は笹山じょうもん市の前に完成していました。
柵とかがないので、車輪が落ちないようにお気を付けください。
さて、今年度の発掘が間もなく始まります。もちろん、画像の駐車場とは別の場所。どこでしょうか?
発掘の様子は笹山日記に随時アップしていきますのでお楽しみに!
調査員
(2019年07月04日)
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