鉄
昨日から大地の芸術祭が始まりました。
笹山遺跡周辺にも幾つかの作品が設置されているので、
調査区の横を通る車がいつもより多く、
みれば県外ナンバーばかり。さっとみてさっと帰る方が多いです。
ごく稀に、「ここはなにかあるんですか」と訊いてくる方もおられます。
「そうですね、縄文土器とか出てますね。」
そんな風にお答えしますが、なにぶん掘っているのは中世なので、答える口調もローテンション。聞くほうもなにか「訊いてはいけなかった雰囲気」と勘違いしてそそくさと去っていくのでした。
中世の遺物は相変わらず出土していません。唯一、関係がありそうなのはこれでしょうか。
鉄。
近くから柱跡も出ているし、焼土も出ていますから、関係するものかもしれません。鉄滓(てっさい)?と頭をよぎりましたが、そうならもっとたくさん出そうだし、形もガチャっとした感じじゃないかなー、などと考えていました。
調査員
(2018年07月30日)
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いきなり!縄文キャンプ
昨日今日と笹山縄文カレッジの初企画、
いきなり!縄文キャンプを行いました。
いろいろとあるハードルを乗り越え、あるいはくぐって、実現にこぎつけました。
昨日は、ガイダンスの後、食器づくりをして火おこしからBBQ。肉はそんなに食べずに時間を持て余しがちな子どもたちは、ひたすらマシュマロを焚き火で焼いて食べてました。
そして森のナイトウォークをして竪穴住居で就寝。
今日は、朝ご飯づくり(火焔型土器ナベ)をしてから、お土産の勾玉づくりに熱中。出来上がった勾玉を首にかけ、冷えたスイカをみんなで食べて、おしまい。
いろんなことを体験できる、てんこ盛りの企画だったように思います。
参加してくれた子どもに「なにが一番楽しかった?」と訊いてみました。
「マシュマロ〜!」
だよなー・・・・。
調査員
(2018年07月29日)
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縄文土器さんこんにちは
新しい柱穴が期待されているところですが、まだ出てきません。
そんなわけで「たまには遺物をアップしようかな」と思っていた今日この頃。
縄文土器が出ました。・・・・また縄文か。中世の遺物はまだ一つも出土していません。
画像の土器は、中世の層から出ているのですが、結構大きいですね。初めて見たときは思わず層を間違ったかと自分不信になりかけました。また同時に、「タヌキボリ」状態になっていることに、心がささくれそうになりました。
「タヌキボリ」というのは、一部分だけタヌキの巣穴をあけるように掘ることを指す業界用語です(たぶん)。地層や遺構などの周囲の状況を無視して掘ることから、普通はやってはいけないもので、ニュアンス的には揶揄するような感じで使います(たぶん)。盗掘なんかがあると、大体この掘り方をされると聞いたことがあります(あいまい)。
発掘体験をした時も、掘り方を細かく事前説明しませんから多くの方が「タヌキボリ」しようとしました。遺物が見えると、やっぱり人間ですからどうしても「早く見たい!取り出したい!」って思って、その部分だけエッサホイサと掘ってしまうんですね。そういう姿をお見かけするたび、僕は心の中で「よくぼうにかられてしまつたか、みにくいにんげんめ。」などとつぶやいてませんよ勿論。
こういう土器が出てきたら、本来ならば地層単位とか遺構単位で掘っているので、状況に合わせて掘ります。地層単位なら、掘るべき範囲の地層を上から順番に掘削するので、1日かけても掘り出せないことはザラです。遺構っぽいなら、半裁したり断ち割りしたりといった部分掘削をして、掃除して、図面や写真の記録をとってからの取り上げとなりますから、これまた時間を要します。他の遺構に伴っていようものなら、もはや何日もかかってしまうこともあるわけで、「見つけたその日に取り上げるなんて無理無理無理無理〜〜〜〜!!というわけです。
このあたりに「宝探し」と「調査」との違いが出てくるのかなと思います。調査とは、人間の欲望との戦いなのです(バーン)。
で、話は戻りますが、画像の土器は、細い粘土紐2本を縦に平行に貼り付けた文様が土器の四方に見えますから、たぶん縄文時代中期前葉くらいのものじゃないかと思っているわけですが、なにぶん上のほとんどがありませんから、「たぶん」です。そういうのがわかるって本当にすごいですね、先学たち努力の賜物なわけです。
で、大きいのが出たらどういう風な作業をすべきなのか、現場でちょっとした授業をしてから、土器を回収してきました。中世層の縄文土器が見たいという人は縄文館へどうぞ。
調査員
(2018年07月24日)
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こんなの初めて
今日は、僕を入れて3人で調査しました。
それぞれの事情が重なって本来の人数よりもだいぶ少なかったです。思い返してみるとこんなに少ない人数での調査は初めてだと思います。
調査区を保護するブルーシートは四隅を持つ必要があるので、4人いないと困るのですが、、、、シルバーさんにはせっかく来てもらっているので、ということでなんとか実施しました。でも、可能なかぎり避けたいものです。
人数が少ないだけに、遺構(らしきもの)の掘削に集中しました。たぶん掘立柱建物の柱穴跡じゃないかと思うのですが、周囲に等間隔に並んで発見されていないので、まだなんとも言えません。
「掘立柱建物」ってなんだろう。
その名の通り、地面に穴を掘ってそこに柱を立てて組み立てる建物のことで、住居の基本形です。例えば「竪穴住居」も、地面に穴を掘って床面を低くしたうえで、床面にさらに穴を掘って柱を立てるわけですから、理屈の上ではこれも「掘立柱建物」になります(そうは呼びませんが)。
礎石建物というのもあります。
掘立柱建物でない建物です。これも文字通り礎石の上に柱を置くタイプで、古代から寺社とかの高級な(俗っぽい言い方ですみません。)建物がこれで作られることがありました。
庶民の住宅がこのタイプになるのは江戸時代に入ってからのことで、それまではほとんどが掘立柱建物でした。掘立の工法が簡単とか地震に強いとかいろいろ理由があるみたいです。
ちなみに、礎石建物の柱の下に入れる礎石として、この地域では「だっぺ石」というのがよく知られています(「だっぺ」は糞の形に似ているところから。)庭に置いてあることも多いらしく、庭石と勘違いしている人がいますが、たぶんそうじゃなくて、礎石建物のために各家で保管しておいたんだと思います。大事にされたのは、礎石建物が放つ威光からくるハロー効果みたいなものじゃないか、と勝手に想像しています。
さて、丸い竪穴住居ではない掘立柱建物の場合、柱と柱の間は壁があったり戸があったりして、だいたいは等間隔(1間単位で)に並ぶものと予想できます。もし今回のように発掘調査で二つの柱穴が発見されれば、「じゃあほかは大体この辺にありそうだ。」なんていう推測ができることもあります。昔も物差しがあるからですね。
なので、いま次々と拡張区を設けて広げて掘っていて、遺構探査の比重が大きくなっています。シルバーさんには上のこともお話しして作業の目的を共有しようと努めています。発見というものはだいたい、たまたま見つかるのではなく、「見つけようと意識して初めて見つかる」からです。土器の種子圧痕と同じですね。見つかればいいなと思います。
で、一人のシルバーさんとそんな話をしていたら、別の場所を掘っていたシルバーさんが、いくつかの土の変色部を根こそぎ掘り上げているのに気がつきました。心の中で「ぐおーーー」と悶えました。
難しいものです。
調査員
(2018年07月23日)
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笹山縄文カレッジ 古代糸作り
今日は「古代糸作り」。
3名の方にご参加いただきました。
アカソは事前に採取して乾燥させておいたものを叩いて叩いて叩いて叩いて・・・エンドレスかと思うほど叩いて繊維を取り出しました。
カラムシは当日採取し、こちらは苧引きして繊維を取り出します。
取り出し方にも違いがあるってことに気づいた人はすごいですね。
参加者の皆さん、それなりの立派な糸になり、土製チャームに結び付けられました。
「これならアンギンもいけるんじゃないかな」
というは講師の金子さん。
アンギンの編み台の作り方もご教示頂きました。
来年はチャレンジできるかも?楽しみです。
ちなみに、画像がないのはいつもの「それ用の画像撮り忘れ系」です。すみません。
阿部
(2018年07月22日)
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遺構かなー?
調査員の阿部です。
毎日暑いです。でも天気予報なんかで列島のほかの地域の気温を見ていると、十日町はだいぶマシな方と思って自分を慰めています。
今日は遺構らしきものが2つ、みつかりました。直径で90センチくらいでしょうか。ほぼ同じ大きさ。なんでしょうね。
一つを掘ってみたら浅かったのですが、そもそも上が削平されている可能性もあるし、かつての実際の深さはわかりません。
来週、もう一つを掘ってみます。さて、どうなるでしょうか?
乞うご期待。
調査員
(2018年07月20日)
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竜巻とつむじ風と渦巻文
調査員の阿部です。
今日もピーカン、いい天気。
セミがよく鳴きます。十日町市のリゾート当間(あてま)では蝉の羽化が盛りだとか。
めずらしく現場に渦を巻く風が吹き、ブルーシートが飛んでいきそうになりました。「竜巻だ!」と誰かが叫びましたが、僕は「つむじ風だ!」と心の中でいっていました。その違い、わかります?
ところで今日の画像は、火焔型土器か王冠型土器の一部です。今の調査の出土品ではありません、と先に申し上げておきます。
数年前に掘った時の土器のうち、優先順位が低くて報告書掲載には至らなかったものですが、なんだか接合しそうだなと思って試したらちょっと接合できたので嬉しくて報告します。
火焔型土器500年の歴史の中で前半のものかもしれません。あんまり細かいことをいうと火焔星人が夢に出てきて襲ってくるので言いませんけど、とにかく接合は楽しいですね。
話は戻って、竜巻とつむじ風(旋風と書く。)の違いってなんだろう。グググッと検索してみました。そしたらつむじ風というのは地表で発生するものだそうです。他方、竜巻は積乱雲から垂れ下がってくるもので、直径数十メートルから数百メートルだそうです。まさに天地の差なわけです。そういえば某格闘ゲームに「竜巻旋風脚」っていう技がありましたけど、どっちかはっきりさせて欲しいような気もします。
火焔型土器の文様に渦巻がありますね。文様の大きは数センチメートルですが、火焔型土器の分布範囲は新潟県全域ですから、そういう意味では直径200キロメートルくらいあるわけで、、、、
・・・
なんかうまくまとめようとして失敗する予感がしてきました。それではまた。
調査員
(2018年07月18日)
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遺物、遺構、地質
調査員の阿部です。
遺物の出る出ないはモチベーションに影響します。
だから遺物がすごく少ない今の状況は、シルバー作業員さんたちにはちょっとつらいかもしれません。
なので遺構の探索に話をずらし、いろいろお話をするのですが、なんだかあんまり人気ないですね。いまいち盛り上がりません。
そこで地形の復元についてもいろいろお話をするのですが、食いついてくる人は少ないですね。ガックリ。
やっぱ「お宝」なんでしょうか・・・。
調査員
(2018年07月17日)
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土嚢が切れる
調査員の阿部です。
使い始めて2週間程度になるでしょうか。
土嚢袋が次々と千切れ始めました。なんとも脆い。
また土嚢袋を買ってきて、詰め直しをしてもらいました。
原材料費の高騰で薄手のものが出回り始めてから何年くらいになるでしょうか。
「またか」という気分です。
調査員
(2018年07月13日)
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確認調査的
調査員の阿部です。
トレンチ掘削に続いて、グリッド掘削を始めました。
遺物が全然出ないので、まだ全面調査する気になれず、グリッドごとに部分掘削する作戦です。本調査に臨む前の「確認調査」みたいな設定です。
掘削範囲を決めて、手のあく人を待っていたら、道路から声をかける人が一人。いおサポ会員のN藤さんでした。ちょうどいいところに!!もちろんグリッドに入ってもらいました。ちょうど人手が不足している最中だっただけに、ありがたさ2倍。
「みんなで掘る笹山遺跡」をやっていたときの思い出話にも花が咲きました。「E藤はすごく綺麗に掘ってんですよ。で、奥さんは僕と同じでアレした、ふふふ。」
そうでしたね、懐かしい日々です。
トレンチの中では遺構らしきものが見つかりました。遺物がないのでまだなんとも言えませんが、いわゆる焼土です。焼土をありがたがるなんて、まともな遺構が出てない証拠ですね。
「掘る」には3種類あるような気がします。遺物を出すこと、遺構を見つけること、土を加工すること。この3つ。もちろん同時に複合して行います。
大体の人はひとつめの遺物を出すことだけが発掘だと思ってるので、この複合に戸惑いますね。教えるのも大変です。お宝とか潮干狩りのような感覚は補正していただかなくてはなりません。
僕らの感覚では、作業量的には土の加工が最も多くて、発見のランクなら遺構がいちばんです。遺物は、確かにお宝感はあるけど、それだけじゃさあ・・・という感じです。土器1個体出していただくより、トレンチを綺麗に掘ってくれる方が嬉しいです。
そんなわけで、いったい何が言いたいかというと、「土の色が違ってたら教えてね」ということでした。
おしまい。
調査員
(2018年07月10日)
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出ました!
調査員の阿部です。
昨日と一昨日と雨だったので、また水抜きから始まった今日の調査。
人数が少ないので四苦八苦。
トレンチを掘るのも時間がかかります。
「発掘はじめて」のシルバーさんたちには戸惑わせてばかり。
それでもなんとなく形になってきました。よかった。
そんななか、トレンチの中から「阿部さん!なんだいこれ!」との声が。
ついに来たか!
と駆け寄るとそこには「磁器」・・・・ピッカピッカの現代ものでした。
超〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ローテンションで、「新しいですね、ダイブ」とお答えしました。
いまのところ出ているものというと、ほとんどが縄文土器。今回は縄文を掘る予定がないのに、、、なんという皮肉。
中世面を掘っているはずなのですが、肝心の中世遺構はおろか中世遺物もまだ未発見。
あまりにも面白くないせいでしょうか、磁器のお猪口にプリントしてある文字をじ〜〜〜っと眺めて、なんて書いてあるのか真剣に考えてみたりしてました。
すぐにハッと我に帰りました。
苦行は続きます。
阿部
(2018年07月09日)
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発掘実地研修
連日降った雨は、調査区のブルーシートの表面を流れて周囲の溝へ。
溝は従って堀のようになっていましたし、シートの上には流れきれなかった雨が水たまりになっていました。今朝はまず、排水作業から。
中央のトレンチは幅50センチにしていましたが、思いの外深い部分があって、掘りにくくなってきたので100センチに拡張しました。
まだ慣れない作業員さんたちは、50センチのトレンチから壁を掘るようにして堀り進んでいました。
「ゴホ・・・・」
とまたセキ払い。
「上から順番に掘ってくださーい。」
と声をかけるも、上の層から下の層までドカドカ〜!っといくので
「ゴホ・・・」
とまたまたセキ払い。
「集〜〜〜合〜〜〜〜!」
出土場所(地層と座標)と出土状態が重要になるので、横から断面を縦断的に掘るんじゃなくて、上の層から順に掘るようにして欲しいな〜なんて。
熱心に耳を傾けてもらえてありがたいことです。
現地実地研修はまだまだ続きそうです。
調査員
(2018年07月06日)
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漸移層
調査員の阿部です。
今日も雨。台風の影響だそうです。
発掘調査はもちろん中止です。
こんなときは出土遺物の基礎整理をしたり、現場では落ち着いて考えられない調査計画を練ったりするのが最適です。今日は、調査区外周の壁面が大方揃ったので、それらを机上で対比していました。次に現場に入ったら地層番号を決めようという心積もりで。
まだ一部が、事情があって不明のままですが大体はメモ(画像)の通り。基本は画像右下のようになっており、下から順にみると、
黄土→漸移層→表土
こんな感じ。超簡単ですみません。本当はもうちょっと細かいですよ念のため。
で、東の方では黄色の土に削平されたり耕作痕跡が見えたりしています(画像左下)。また、北側では東から西へ自然流路があるため、石が大量に混ざる土が堆積し、落ち込んでいます(画像上)。黒い土に石が多く入ってるのは下の層からの漸移的な成層なのかもしれません。
黄色い土は、以前の調査では「II層」または「2層」と呼んだものです。いまさら層番号を変えればややこしいので、2層のままでいこうと思います。
じゃ、漸移層は?・・・それはまた今度考えます(うそ)
ちなみに、先日、ある学会に行ったら漸移層の読みを「ざんいそう」と言っている人がいましたが、これは「ぜんいそう」じゃないでしょうか。漸移は、連続的に変化することを意味していて、グラデーションのことです。
そういえば、考古学では時折漢字の読みが問題になることがあります。前に、「半截」の読みは「はんさい」か「はんせつ」か、ということで議論があるとを聞きました。僕は「はんさい」といってますが、確かに漢字を真っ直ぐに読めば「はんせつ」ですよね。
ここを見ると↓、「はんさい」は慣用読みとあります。大辞林からの引用のようです。
https://www.weblio.jp/content/半截
慣用というのは通用していればそれで良いというものだと思うので(たぶん)、あんまり気にするほどではなく、どっちでもいいとうこと、、、といったらどこかから何かが飛んできそうなので、これは超大事な問題だと指摘しつつ、「ざんいそう」ももしかするといずれは慣用読みと呼ばれる可能性もなくはないと申し添えて、キーを打つ手を止めたいと思います。
調査員
(2018年07月05日)
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雨が多いですね
調査員の阿部です。
雨が多いですね。今日は発掘はお休みしました。代わりというわけではありませんが、博物館で展示解説をしました。小学校3年生、、昔の米作りについて。
昔・・・・・。出ました「昔っていつなんだ問題」です。歴史はもとより、博物館では「いつのことか」はとても大切です。
おじいちゃんとかそういう時代の話、と思うかもしれませんが、こんな質問があります。「十日町では昔から米作りをしていたのか」。一概におじいちゃん世代を想定しているわけではない気がします。
ところが、3年生というとまだ「歴史」を学習してないので、弥生時代とか言っても説明にならなりません。だから「今から何年前」的に言ってみたりもするわけですが、これはこれで例えば3000年が100年の何倍かもよくわかってない子もいそうで、大変なわけです。
それから、「今と昔を比べたいなら、今のことも知っていてね問題」。
これも大切。今について調べて、それをもとに昔を知る。調べる項目を同じにしておけば、その違いがはっきりしますし、違いの意味を考えることも容易になりそうな気がするような気がします。リーディング次第で博物館で見るべきもの、訊くべきこともはっきりしてくるような気もしますが、気のせいかもしれません。先生方への期待です。
ところで、面白かった&話が膨らむ質問はこれです。
「本当に人間のうんちが肥料だったのか」
いいですね。小学生ならみんな大好きです、うんち。否応無しに盛り上がります。
人糞肥料の歴史は、16世紀にはあったとかで、江戸時代になるとより盛んになりました。田んぼだって毎年作ればあっという間に痩せます。年貢のため、目標とする収量を達成するには肥料は欠かせません。草(刈織:かりしき)、牛馬の糞、そして人糞です。
江戸時代には、都市部で出された人糞を農村で買い取り消費するシステムが確立していました。なんでも社会階級が高い家の人糞ほど高値になったとか。いいもの食べてるから、ということでしょうか。この循環システムのおかげで都市の衛生環境と農村の生産量とがともに維持されたわけです。
それだけに化学肥料が普及したり下水道ができたりする戦後までは普通に使われていました。だからまだ肥溜めの記憶がある高齢者は多いし、誤って落ちちゃった人の話なんかも聞けたりします(でもなぜか自分が落ちたという話は聞いたことがない)。
ちなみに糞尿は、そのままでは有害だそうで、肥溜めは単なる貯蔵施設ではなく、発酵させる施設なんだそうです。へ〜、ですね。味噌玉の発酵についても面白かったですが、ここでも発酵の科学があります。
これはぜひ実験・・・・・・・・・・・・・・・・・
しません。ゼッタイ。
調査員
(2018年07月04日)
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真ん中トレンチ
調査員の阿部です。
やっと四周のトレンチが掘り終わりました。
次は、調査区中央部あたりから四方に伸びるトレンチの掘削を始めました。
初めて発掘業務を行うシルバーさんたちは、周りのトレンチと同様にドカドカ掘るので、「えっとですね・・・」といいつつ、発掘調査モードに段階的に切り替えるようにお願いしました。
移植ゴテや両刃鎌(りょうばがま)の正しい使い方(ただし発掘のため)から、壁や床は地層を観察できるように綺麗に削ることとか、遺物が見つかったらどうするか、遺構とはこういうものだ、、、、などなど。
キリがないくらいたくさんあるので、順次お伝えして慣れてもらうしかありません。
「遺物って聞くとさ、どうしても異物を思い出しちゃうんだよなー!なんか気持ち悪い感じがする!」
まあ、まあ、そうおっしゃらずに。土器を見つけて「遺跡が出た」というより随分いいはすですよ。
そんなこんなをしているうちに笹山日記用の画像を撮るのを忘れていました(また)。
調査員
(2018年07月03日)
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